はるかすぎされし ときより
わたくしをつつんでくれるいのち
はてのない みらいえいごうまで
わたしをてらしてくれる ひかりのきみ
とおいむかし さとりのせかいに
みほとけのおしえを ふかくよろこび
みほとけのねがいで つくられた
かがやいているせかいが
ことばやおもいをこえて
ひかりをかんじる
せかいであることをしった
くるしみもなくよろこびに
みちたさとりのせかい
けれどなんどうまれかわって
なんどうまれかわろうとも
くるしみのうずのなかを
るてんしつづける
かなしみのうちに
くれるいのちがある
かなしみのときを
うむいのちのそばにありては
すくうほとけになりたいと
ねがうばかり
もとめては
しゅぎょうにつとめ
いのちが くるしみから
のがれるすべがなく
くどくをつめず しんじつに
ちかずくことさえできず
しんこうのかなしみを せおうばかり
そこでちかいました
すべてのいのちを すくうため
どんなこんなんも
どのようなくなんにみをしずめても
しゅぎょうをなしとげ
かがやける みほとけとなろうと
つみあげられた すべてのちからが
みたされて せかいの
すみずみにまでひびき
きくひとたちにちからを
もたらすでしょう
すべてがなしとげられたとき
あまねくせかいにむけて
ひかりがはなたれ
はかりしれない はてまでもとどく
すべてをつらぬくひかり
くらべようもなく
ほのおの たまのようであり
きよらかであり
よろこびに つつまれ
しんじつであり
たえることのない ひかり
おもいや かんがえをこえた
ことばいぜんの
たいようのひかりや げっこうよりも
かがやく
いのちある すべてのものが
ひかりのきみに つつまれて
なむあみだぶつの ひかりのほとけ
ひかりのきみ
そのなをきくものは
さとりのせかいへと
うまれかわることができる
ときはながれ いまあるいきるせかい
このせかいでは
ときもいのちもにごり
かなしみのたねがたえることはない
さてはぼんのうをなくすことのできない
かなしいいのちがあるということを
なむあみだぶつ
すべてのくどくがみちたりて
きくものは なやみやと まどいを
なくせずとも
さとりのいのちへ みちびかれる
なむあみだぶつ
しるものは うみのようにおおきな
はたらきがある
ぼんじんであれ せいじんであれ
なおさらに ふかいつみをかかえるものであれ
ひとしくだきとり みちびかれる
どのようなおがわのみずも たいかいに
そそがれ
やがては ひとつになるように
なむあみだぶつ
えいえんのやみをひらくひかり
こころのやみをてらし
いつもまもられて
よくやいかりが こころからきえず
ほんとうのことをおおいおかくしたとしても
すくいとなったひかりは さまたげられない
くもやきりにじゃまをされ
たいようがみえなくとも
ちじょうにやみなどないと
どんなに にごったかわのみずも
うみは いだいてくれるように
どんなに あついくもがおおっても
ひかりはてらしてくれるように
すべてをうけとめてくれる
こころにであえたとき
くるしみのれんさをこえていける
ぜんにんであれ あくにんであれ
どんなひとも
わけへだてなく ひとしく
はてしなくおおきなちかいを
ききひらく
まっしろいはすのように
とおといひとのよう
ちかいをうけとることができたなら
なによりもすばらしいこと
なむあみだぶつ
このなをたたえてください
そのままの
いまのままのじぶんが
よろこびのこころにであう
なによりもありがたく
なによりもすばらしいこと
なむあみだぶつ
このなにはさとりのせかいから
あなたへととどく
はてしなくながい
いのちのものがたり
はてしない かこから
わたしをつつむ いのち
はてしない みらいまで
わたしをてらす ひかり
わたしはであう
いのちと ひかり
かぎりないみほとけに
なむあみだぶつ
ひかりの きみ
「正信念仏偈」「教行信証」の「行巻」の末尾に所収の偈文。
七言六十行 百二十句
絵物語「ひかりになった王子さま」から一部引用
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