「私一人が考えた事」と真知子は返事した。
「D組の他の子で誰かサーカスに行った子はいるの」と修三は真知子の行動に不安を感じ諭した。
「学校では家の人と同伴でなければサーカスにはいけないようなの、だから今のところD組の誰も行った人はいないようなの、多分げちゅうさんの時期にはまだ早すぎるので、みんな縁日の出店と掛け持ちで見に行くつもりをしていると思うわ」と真知子の考えを言った。「真知子はげちゅうさんまで待てんという訳や」と修三が考えを正すと、
「それとこれとは話が違うんや、今は斎藤君の事が心配でほっとけないのよ」と真知子はそう言って修三を真剣な顔で見た。
「わかった、えらい真知子にしてはお父さんの知ってるいつもの真知子じゃないみたいでびっくりするわ」と修三も真知子の真摯な態度に折れざるを得なかった。
「次の日曜日サーカス約束したで、ええか」と修三は真知子に、妥協する形で譲歩した。「うん、ありがとう。お母さんにも後でお父さんから言うといてな、お願い」と真知子は嬉しさから笑顔で両手で仏様の合掌を真似ては修三を拝んで見せた。
次の日曜日は時折強く北風の吹く小雨まじりのあいにくの天気だった。「お父さん雨男だからね、運動会も遠足も決まって雨に降られるんだもん、しょうがないけど相合傘でサーカス行こう」と真知子はまんざらでもない様子だった。お旅所に設置されているサーカス団のテントは朝方から降り出した雨の影響で赤茶けた色合いに変わっていた。木綿のテント特有の形状から雨のしずくが、テントの端でテントを固定している箇所に、軒を作りだして、人工的な樋の役割を果たし、滝のように、広場の側溝に向かって流れ落ちていた。時折北風が強く吹きつけ、テント全体をあおっている様子だった。
修三は入場券を買いに切符売り場に行く際真知子を促した。
「どうする父さんは入場券を用意して入口で待ってるけど斎藤君に会いに行くの」と修三が言うと、「少し待っててほしい、団員さんが暮らしてるって聞いたトレーラーの方に行って、斎藤君の事たずねてみる」と真知子が言っては、自分で何とかするつもりだった。
「一人で大丈夫、父さんもいっしょについて行こうか」と修三が助け舟をだしてみたが、
「いいの、様子をたずねるだけなんだから」と真知子は自分の気持ちを正直に伝えた。
「じゃ父さんは入口の前で待ってるから」と言われてすぐ真知子は振り返り、踵を返しては一台の白色のホロのトレーラに向かって歩いて行き、トレーラ車の後部ドアに向かって声をかけた。
「こんにちは誰かいませんか」と気恥ずかしさから声がこもって、いつもの真知子らしくなかった。なんども声を掛けてみたが、なんの反応もなかったので次はドアをノックして見る事にした。二度ノックしたところで、トレーラーの中から「だれ」と男の声がして後部ドアが半分開いた。野太い声だったので、てっきり大人の男の人が出てくるものと、一瞬体が硬くなりかけたが、ドア越しに見えたのは、暫く休んでいる間に、大人びた声帯に声変わりした信哉だった。
「同じ組の河合です」と真知子が名乗った。
「隣の席の河合さん」と言うなり信哉は、きょとんとした表情でドアを大きく開けた。
「びっくりした」と真知子の方も「別人二十八号」と言いかけたが冗談言うのはやめた。「なんだ病気でもなんでもなかったんや、心配してそんした感じ、ただ引きこもってたって事か」と一方的に真知子が独りぶつぶつと言い訳を並べ立てた。信哉は何も言えず、何も言い返すすべもなかった。ここは真知子の独壇場だった。
「学校出てこれるよね短い間でも同じD組の仲間になったんだし、まさか訳もなく、声変わりのために、出てこれないって事にはならないよね、私ってこんな事までして、ほんと相当なおせっかいでばかみたい」と真知子は開き直り言った。
「もう帰ってくれる」と信哉は野太いかすれ声でぼそっと言った。すると「ノブ誰か来てるんか」とトレーラーの中から女性の声がした。
コメント